サイトとアプリ運営に関するメモ的なブログ

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「記事広告のタイトルにPRをつけるか問題」の流れのまとめ

久々にウォッチ活動がはかどったので、「記事広告のタイトルにPRをつけるかどうか問題」の流れをまとめておく。

(以下、すべて敬称略)

まず、大元の議論がこちらになる。

記事広告タイトルにPRと入れる議論(宮脇淳、kogure、otune)

imgur.com

フェイスブックでおおつねまさふみ、宮崎淳、コグレマサトの3氏が議論をしている。

この時はヨッピーの熊本観光記事について、コグレマサトが「タイトルにPR入れないのなぜなんだろう」と発言したのが発端となったようだ。

コグレマサトも記事広告を書くことがあるそうだが、自身はPRを入れているので、どうしてヨッピーは入れないのかと疑問を提示している。

この時におおつねまさふみが、「タイトルにPRを入れないと読者を騙すことになる」という主張を述べ、宮崎淳がそれに抗弁して否定する、という流れになっていた。

PRを入れたくない理由は、クリック率とPVが下がるから、というもの。

おおつねまさふみはネットウォッチャー、宮崎淳は記事広告作成側の立場で発言していると思われる。

その後しばらくして、BuzzFeedがヨッピーに記事広告についてインタビューした記事を掲載する。

www.buzzfeed.com

この中に「(タイトルの)PR表記をどうすべきか」という質問事項がある。

そこでヨッピーは、タイトルの文字数が削られるのが嫌、などの理由によってPRをつけないと述べる。

この記事を宮崎淳がフェイスブックで取り上げ、「議論は平行線に終わったという不毛を思い出した」と投稿し、おおつねまさふみとの議論が再発する。

www.facebook.com

この時のおおつねまさふみの投稿の一部を、ヨッピーが「イキり発言」としてピックアップし、フェイスブックに投稿する。

www.facebook.com

宮崎淳とヨッピーにはつながりがあり、この投稿の内容からして、おおつねまさふみを晒して叩こうとしたのだと思われる。

この時にヨッピーは「全然知らなかったんだけど、インターネット古参であるらしいおおつねまさふみさん」と形容しており、事実おおつねまさふみについては何も知らなかったようだ。

もともとは内輪向けの投稿だったのだろうけど、おおつねまさふみとヨッピーが絡んだことによって注目が集まったのか、ブックマークがたくさんつき、議論の存在に多くのはてブユーザーが気がつき始める。

(私はここで知った)

こうして騒ぎになったことで、ヨッピーが自身のブログでPRをつけるかどうかに見解を表明する。

yoppymodel.hatenablog.com

この中で、タイトルの文字数を消費するのは嫌なので、サムネイルにPRと埋め込む案を提示したが、ネットの反応を見て、タイトルにPRと入れる方向でやる、と結論を述べる。

そして最後に徳力基彦が議論をしている人たちに向け、小競り合いはやめ、協力してステマ撲滅をがんばりましょう、と呼びかけて事態の収束を図った。

news.yahoo.co.jp

これで議論は終了したが、実際に「PR」が記事広告に付与されるかどうか、それがどのような影響を及ぼすのか、今後も流れを見ていこうと思う。

なお、途中でshi3zという人がヨッピーに対して自爆テロを行ってブックマークを集めていたが、文字通り自爆しただけで議論に影響はなかったので、その部分は割愛した。

広告記事に【PR】と入れるべきだとして、【AdSense】も書く必要はあるだろうか

先日、広告記事にはタイトルに【PR】と入れるべきでは、という記事を書いたのですが。

web-app.hatenablog.com

振り返ってみると、私もAdSenseをサイトに貼って収益を得ているわけで、記事タイトルに【AdSense】や【広告あり】と書いておいたほうがユーザーに親切なんじゃないだろうか、というようなことをふと思いました。

広告記事は企業からお金をもらって制作しているものなので、やはり【PR】という文言を入れるのが適切だと思うのですが、私の作ってるサイトの場合は、書きたい記事を書いてそこにAdSenseを添える、というやり方なので、また違ったものだとも言えます。

テレビ番組でも、これを見続けていると、やがてCMを見ることになります、なんていちいち告知しませんし。

しかしユーザーからすれば、サイトの閲覧によって広告を見せられることに違いはないわけで、「このサイトを閲覧すると広告を見せられることになります」とタイトルに明示しておいた方が親切だということになります。

サイトによってはサイドバーなどに、「このサイトにはAdSenseが貼ってあり、Amazonアフィリエイトリンクが貼ってあります」と書いてあるところもありますが、それはサイトを開いてからでないとわからないので、事前にユーザーに広告を避ける機会を設ける効果はありません。

サイトやブログにAdSenseが貼ってあるのは当たり前だし、特に気にすることでもないだろう、という認識が私の中にはびこっていたので、今までは特に何の疑問も感じていなかったのですが、人に「広告記事には【PR】って入れなよ」と要求した今となっては、このあたりも考えてみる必要があるのかもしれない、と思いました。

結論は出ていませんが、ちょっと考えてみようと思います。

海外では広告ブロッカーの導入率は無視できないレベルになってきているようです

こちらの記事によると、海外でのブラウザへの広告ブロッカーの導入率は、かなり高まってきているようです。

news.yahoo.co.jp

モバイル分野では、中国で13%、インドでは28%、インドネシアでは58%(!)のユーザーが広告ブロッカーを導入しています。

中国や東南アジアでは広告の表示の仕方がかなりひどい、という話を聞いたことがありますので、そういった問題の影響があるのでしょう。

今のところ日本では導入しているユーザーは限られているようですが、有料アプリのランキングの上位にはずっとブロッカーアプリが張り付いており、じわじわと導入が進んでいることが明らかになっています。

個人的には自分のサイトにユーザーを不快にさせるタイプの、上から降りて来て誤クリックを誘うような広告は表示させていませんが、私がそうしたところで、他のサイト運営者がユーザーを不快にさせる広告を表示することを止められるわけではありません。

ブラウザの開発者や、広告配信者がそういった広告を非表示にしたり、配信しないというレギュレーションを設定する必要が発生しているのだと言えます。

こういう問題は何年も前から指摘されていましたが、サードパーティの広告ブロッカーが広まったことにより、ようやくGoogleも本格的に対応しないといけないと考えるようになったようです。

Googleは近いうちにChromeに広告ブロッカーを導入し、Androidユーザーであれば、デフォルトで広告ブロッカーが使える状態になる見込みです。

これによってAdSenseは表示させつつ、おそらくはスクロール系などの不快な動作をする広告や、内容に問題のある広告を非表示にしていくのでしょう。

広告ブロッカーの導入の広まりは、収益を優先するあまり、広告の内容や形態を野放しにして来たことのツケが回ってきているのだと言えます。

AdSenseでも扇情的なマンガ広告が頻繁に表示されており、これが不快なので、私は表示されないようにブロックをかけていますが、こういった問題についてもGoogleは真剣に対処しないといけない時期に来ているのだと思います。

収益が上がるようになると、書くのが楽しいだけでなくなっていく

メインでやっているサイトは、元々は純粋に趣味として文章を書いていたサイトだったのですが、いつの間にかアクセス数が増えていったことにより、収益源へと変化していきました。

そうなると、収益を増やすために記事を追加していこう、という気持ちがどこかで生じるようになり、今ではそのサイトに文章を書くことは、純粋に趣味であるとは言えなくなっています。

それでも好きなテーマについて書いているわけなので、書くこと自体は楽しいのですが、どこかで「これを書けば収益が増える」ということが意識の中に入ってきているため、本当に楽しくて書いているのか、お金のために書いているのか、その境界があいまいになってきました。

だんだんと趣味から仕事に変化していってしまい、そのためにいまいち筆が進まないなーと思うことも増えました。
そうなったらしばらく書かなければいいのですが、書かないとアクセス増えないし! とか思ってしまってさいなまれます。

そういった状態への対策として、別のサイトやこのブログなどに、収益には結びつかない文章を書いてバランスと取るようにしています。
文章を書く息抜きに文章を書く、みたいなことになっているのですが、そうすることで、ちょっと心が安定して来たように思えます。

人間は収益のためにやることと、純粋に楽しみのためにやることを、同時期に進行していないと苦しみを感じる生き物なのかも、というようなことを思いました。

ヨッピーさんにIDコールで脅されていたらしい(?)件について

昨日はてブを見ていたら、私はヨッピーさんにIDコールで脅されていたらしいと知りまして。

その話を見かけたのは、このブックマークページでした。

b.hatena.ne.jp

この中に次のようなブコメがあります。

ヨッピーバブルの終わりの始まりかな。あの人顔売ろうと必死すぎて苦手。アイコンもサムネもいつも自分の写真だし。一見謙虚だけど批判するとこんな風に http://b.hatena.ne.jp/entry/329863886/comment/yoppymodel 脅してくるし。

このコメントに書かれたURLには、私が以前書いた『ヨッピーさんは「広告記事を書いているだけのライター」という印象になって来ている』という記事についての、当のヨッピーさんからのブコメが書かれています。

その内容が以下になります。

 連絡先がわからなかったのでここに書きますが「ヨッピー銭ゲバ裁判」みたいなのをオープンな形でやりたくてですね、よろしければid:kenjouさんにご出席頂けないかと……!yoppymodel@gmail.comまでご連絡頂けないでしょうか!

 つまり、私がヨッピーさんを批判するような記事を書いたところ、ヨッピーさんがIDコールで「ヨッピー銭ゲバ裁判」みたいなのをオープンな形でやりたいので、私に出席しませんか、と呼びかけて来た、という流れです。

私はWEBライターではないので、そういうのに参加してもメリットがないですし、人前に顔を出すのは嫌なのでスルーしました。

記事でどういう風に書かれちゃうかもわからないですからね。

それにしても、批判もネタにして記事を作ろうだなんて、ずいぶんと商魂たくましい人だな〜とある種感心していたのですが、人によってはこれが「ヨッピーさんが私を脅している」と見えたようです。

ヨッピーさんのブコメは「はてブの半匿名のIDで書いてないで表に出てこいよ」と言っているように見えなくもないわけで、ああ、そういうふうに受け取る人もいるんだな、と思いました。

ツイッターでもこういうリアクションがあったようです。

 

私は(基本的に鈍いので)脅された、とは思っていないですし、被害者ぶるつもりもないのですが、第三者から見ると脅しているように見えるし、「これは怖い」と思う行動のようですので、気をつけたほうがいいかもしれないですよ、という話でした。

「実はほんとに脅しのつもりだったんだよ」とか言われたら「マジで!」ってなりますけど、そのあたりいかがなんでしょうね。

広告記事のタイトルには【PR】を入れるべきだと思う

広告記事のタイトルには【PR】の記載をするべきや否や、という議論があるそうで。

www.buzzfeed.com

www.facebook.com

読者の視点で語るなら、入れとけよ、と思うわけですが。
普通の記事かと思って開いてみたら実は広告記事だった、とわかるとたいていそこから先は読まないわけですが、記事を開く→ある程度は読んでみる、という流れで費やした時間が無駄になるわけで、決していい印象は持てません。
スマホの場合だったら、限られた通信容量も無駄に費やしてしまうことになりますし。

広告記事を作る側からすれば、【PR】と入れるとクリック数が減り、PV数が減り、シェア数が減るから入れたくない、ということなのでしょう。
つまり広告の成果をあげたいがゆえに、ユーザーに不便をかけることは厭わない、と考えていることになります。

上記のヨッピーさんの記事では色々と理由付けがしてありますが(記事の冒頭で断るから大丈夫、など)、結局はPVが欲しい、という自分たちの都合を糊塗しているだけで、本当の意味で読者に配慮しているようには見えません。

ところで、虚構新聞という偽ニュースサイトがありますが、私はこのサイトが嫌いです。
記事が全然面白いと思えないからなのですが、このあたりは個人の感覚の問題なので、別にいいのです。
問題は、このサイトが記事のタイトルに「虚構新聞」を入れないために、普通のニュースかと思って開いてしまい、虚構新聞だと知ってブラウザバックをする、という行為を強いられることです。
虚構新聞の場合は記事タイトルがニュースっぽくなっているので、「虚構新聞」が入っていないと普通のニュースサイトと見分けがつかないのですよね。
場合によってはサイトを開いても虚構新聞だと気がつかず、半分くらい読んでから「こんなことありうる?」と疑問に感じてから虚構新聞だと気づいて腹を立てる、ということが何度かありました。

虚構新聞も一時期は記事タイトルに「虚構新聞」を入れていたのですが、おそらくはPVが下がったために再び入れないことにしたようです。

虚構新聞と広告記事は同じような存在であり、読みたい人、読みたくない人が分かれるのだから、ユーザーが不快にならずにすむように、タイトルにはそれとわかるサインをはっきりと入れておくべきだと思います。

一言でいえば、マナーが悪いんだよ、ということです。

文章は推敲する時が一番楽しい

日々サイトに掲載する文章を書いているのだけど、下書きをしている時はそれほど楽しくない。

というかしんどい。

最初は文章の構成を考えないといけないし、不明な点があったら調べないといけないし、それで知識が増えたら既に書いた文章や構成を変更しなければならなかったりで、何かと頭に負荷がかかる。

それでも下書きがとりあえずできあがって、それを推敲する段階になると、がぜん文章をいじるのが楽しくなる。

ここまで来るともう新しく調べたり文章を大きく変える必要がなくなるので、頭にかかる負荷が小さくなり、ただひたすらに文章全体の質を上げていけばいいだけの心地よいフェーズに入っているからなのだろう。

文章作成は7割くらいの完成度までもっていく過程が一番苦しく、残りの3割を仕上げる過程は楽しくなるものだと思う。

こうしたプロセスであるため、文章を書くという行為は後味がよく、そのためにまたついつい新しい文章を書きたくなってしまうのだろう。